2006年12月17日

お洒落。

こんにちは。
こんばんは。
昨晩、日記を書こうとパソコンに向かったのですが、気が付いたらデスクで寝ていて、
これはもう無理だと判断したため突然ながら昨夜はお休みにさせていただきました。
申し訳ありません。
なんか最近ダメダメですね。。。
自己嫌悪。

今夜は延び延びになっていた『お洒落』の話。
大したことを書く気はないのに、変に勿体ぶった形になってしまって困っています。
本当に大したことないので、気楽に読んでくださいね。

事の発端は13日に『プラダを着た悪魔』を観たことによります。
この映画に出てくる服はとってもお洒落☆
お洒落はなんだかんだでお金もかかってしまうし、お洒落はしなくても生きていけるものです。
しかし、僕はお洒落は大事だと考えています。

僕の場合、昔から変な格好をしていると言われてきましたが、
それによって僕を覚えてくれた人も多いように思っています。
お洒落かどうかは別にして自分の信念で着たいものを着て、
それを見た人達の心のどこかに僕が引っかかってくれたようです。
大学に入学して先輩方との顔合わせのとき、
後輩が入学してきて僕と顔合わせをしたとき、
東京の学校に入学試験を受けに行ったとき、
福岡の会社で働きはじめたとき、
などなど、いろんなところで僕は服装と共にみんなの記憶に刻み込まれたらしく、
これによって僕を評価してくれる人達と出逢え、距離を縮めることができてきたように思います。
それは逆の場合、僕は初対面の人に出会ってその人が好感の持てる服装をしていると、
「この人と、もっと話したい!」と思ったりします。

あと、もうひとつお洒落をしていると勇気が出ると感じています。
お洒落をしていないと、どこか自分にスキがある感じがして自分が本当に話したい人に対し、
臆したり、恥ずかしがったりして、ままならないことがあります。
きちんと自分が納得のいくお洒落をしているときは、
「僕と話してください!」という空気をまとうことができます。

最後にやっぱりお洒落をしていると単純に気分が良いです。
天気の悪い日、何か嫌なことが気になっている日なんかは意識的に派手な色を身につけると、
あっという間にテンションを上げることができます。
「行くぞ!」という感じですね。

やっぱり『お洒落』は大事だと思います。
これから歳を重ねるにつれて、その歳に応じたお洒落を見つけ、
いつまでもカッコつけていきたいと思います。(自慢のパパ、自慢のじいちゃんになりたいです。)
多分「ちょいワル」とかではなく「ちょいヘン」になると思いますが。。。
(何年も素敵なステッキと蝶ネクタイを探しているのに見つからない!)

あ、僕に会ったことがない人も多いと思いますが、別に最近は変ではないハズですよ。
実家に戻って親元で働く際、所長(父)に修行期間は大人しい真面目な格好をしろと
約束させられましたので。。。(悲)

R0013539.JPG
写真が悪くて見えにくいですが、
僕がいつもはめているPaul Smithのシャークの指輪です。
これに気がついてくれて話しかけてくれる人も多く、そんな人とは100%仲良くなれます。
いつの間にか一種のお守りみたいになってしまいました。(よく武器に間違われますが。。。)
posted by hara takuya at 23:59| ☁| Comment(3) | TrackBack(0) | 原拓也の考える美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月10日

不言実行・有言実行。

こんにちは。
こんばんは。
久しぶりに休日らしく過ごせた一日でした。
お気に入りの漫画喫茶『Moby』でのんびり読書。
漫画はやっぱり大好きです。

さっき、家に帰ってきたら母が見ていた番組で『不言実行』が良いか『有言実行』が良いか、
アンケート調査をしたり、出演者がコメントしていました。
これまでの日本人ならば不言実行を貫くことが美学で黙って結果を残すことが良しとされてきました。
しかし、最近の世代は『ビッグマウス』と呼ばれる大口を叩く人間が増え結果を残すものもいれば、
結果を残せず口だけで終わってしまうものもいてテレビでは疑問視されていました。

僕自身の考えでは『不言実行』はどこか「逃げ」がきく感じがしてしまい、
己に甘い自分の場合は言葉として発することで責任を無理矢理生じさせてしまって
『有言実行』を敢行するように自分を追い込もうと考えています。
いわゆる、モハメド・アリがとったやり方と同じですね。

あと、もうひとつ言葉として発するという行いに『言霊』の力を期待する部分もあります。
言霊思想はアニミズム的な思想ではありますが、どうしても言葉の力は大きいと信じてしまいます。
話は少しズレますが、好きな相手にはやはり言葉を発して伝えなくてはならないでしょう。
今まで普通に接していた相手に一言「好き」と言われれば、
こちらも気がついたら「好き」になってしまうことはないでしょうか?
心のうちに秘めたままでは、何も始まることはなく終わってしまうことでしょう。
そこにもどうも「逃げ」を感じてなりません。

結局のところメディアが『ビッグマウス』を取り上げて話題にしているかというと、
亀田興毅、成田童無、堀江貴文なんかに「期待」をしていたからなんだと思います。
自分達が興味半分でワクワクしたものが、蓋を開けてみたら結果を残せなかったことに
「世の中やっぱりそんなに甘くない」という現実を思い出さされたからだと思います。
興味半分だったから本人の「努力」や「悔しさ」は知る由もなく、ただ忘れていきます。
しかし、みんなが興味半分ながら自分達の「夢」を託していたことは事実だと思います。

最終的には『不言実行』でも『有言実行』でも結果さえ残せればどちらもカッコイイと思います。
何も「実行」しないであれやこれや言う人間ほどカッコワルイものはないと思います。
僕は「世界一の建築家になる!」ということを小学生の作文からずっと言い続けてきましたが、
誰も本気にしていないので気が楽です。(笑)
まぁ、のんびり頑張ります。(本当は焦っています)
実行あるのみです☆

R0013371.JPG
ネタに困ったら「空」の写真です。。。
ついつい撮ってしまいます。
posted by hara takuya at 23:59| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 原拓也の考える美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月09日

再会。

こんにちは。
こんばんは。
昨日は突然休んで申し訳ありませんでした。
せっかく、毎日続けてきたのに途切れてしまいました。
残念。
衣笠とか金本とかは、やっぱりスゴイですね。

で、昨日休んでしまった理由は12月5日の日記にも書いたのですが、
高校時代の友人たちと集まって一緒にお酒を呑んできたからです。
メンバーは現在、銀行員、不動産屋、建材屋、建築家(見習いの僕)の4人でした。
感想から言うと本当に本当に楽しかったです!!
それをどう書けば皆さんに伝わるかというと、伝えられる自信は正直ありません。。。
たどたどしい文章、理解しにくい内容になるかもしれませんがお付き合いいただければ幸いです。

とにかく昨夜の一番の感想になりますが、それはみんなそれぞれの道を進んでいて、
それぞれの専門分野を獲得し、いろいろ苦労をしながら頑張っているんだなぁというものです。
それぞれが持ち得た専門分野の知識・情報・体験をぶつけ合うことで、
目の前で次々と化学反応が起こっていく様が、昨夜は堪らなく気持ち良かったです。

それは、自分がその化学反応に参加できるだけの人間になれていなくては、
その場にいてもきっと居心地が良くなかったと思います。
専門分野外の話を聞いても理解できるように自分の分野で頑張っておかないといけません。
ある地点まで辿り着くと全ての分野の内容がリンクしてくると僕は信じています。

もしかしたら、まだ若かったため、みんなの話についていけたのかもしれません。
もう少し時間が経てば、差を開けられて相手の話についていけなくなるかもしれません。
相手が自分のレベルまで話の内容を落として合わしてくれるようになったら自分はお終いです。
自分の分野の事を他の分野の人間の方が詳しくなっていたら、自分は腹を切らなくてはなりません。
そうならないためにも、向上心は常に持ち続けながら日々の仕事に取り組み、
自分の領域だけは最低でも誰にも負けないものを得ておかなければと思います。

僕は素晴らしい友達を持っていました。
幸せものです。
また、次回会える日を楽しみにしています。
負けないぞ。

R0013416.JPG
みんなの話を中断させないように、こそっとセルフタイマーで撮影。
暗い部屋だったため、手前で半透明になっているのが僕です。
そういや集合写真くらい撮れば良かったなぁ〜。
posted by hara takuya at 23:50| ☁| Comment(1) | TrackBack(0) | 原拓也の考える美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月25日

美学。

こんにちは・・・。
こんばんは・・・。
忙しさに追われています。
所長からはダメ出しの連続です。
今日も昔の日記のコピーですみません。。。

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2005年9月12日

僕は美しいものに対して貪欲で厳しいと思います。

薄っぺらな美しさなんて存在しないし、
ちょっとだけ美しいとかも存在しません。

美として存在するからには精神性を含んだ統一感があり、
それこそが本物であると思います。
本物こそ美だと判断しています。

行き当たりばったりなモノに美は居らず、
始めから終わりまで挫けない精神で産み出されたモノにこそ美は宿っているように思う。

美術作品や建築、家具、文房具、食器、文章や諸々、
人間自体でも根底に一本伝えたいメッセージが存在していれば気持ちが良いが、
途中で、いいカッコしたり周りの声に調子を合わしたモノは気持ちが悪い。

純粋であれば正義も悪も、僕は美しく感じるのです。

流行というものは、どこかの誰かが産み出したり、
仕掛けたりしたもので、それ自体は表面的に感じる。
流行の誕生を目撃したことはないのでわからないが、
最初の一歩までは世界とズレていて、醜く美しかったのではないかと思う。

美を扱うのは危険が伴うように思う。
美ほど危ういものはなく、張りつめた緊張感を感じる。
それだけに、一瞬も一点も欠けることは許されない。
だからこそ快感がそこにある。

世の中、汚いモノだらけ。
僕は美しさの中で漂いたい。

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本当は新しい内容で書きたいことはいっぱいあります。
いろいろ考え込むこともいっぱいです。

このあいだ、徳島県立近代美術館で『吹田文明展』を観て版画も久しぶりにしたくなっています。
もちろん絵も描きたいし、場所さえ確保できれば彫刻もしたくてウズウズしています。
余裕ができたら個展もしたいけど、まだまだきっと先になりますね。

仕事ばかりしてちゃ駄目ですね。
このままじゃ、行き詰まるのは目に見えています。
本職と趣味のバランスを保ってこそ、仕事も新しい世界の扉を開けられると考えています。

さぁ、がんばるぞ!

R0012938.JPG
大学の頃、制作した『闇』という題名の彫刻です。
学生の頃は「悲しみ」「苦しみ」「迷い」とかを題材にした暗い作品ばかりつくっていました(笑)
今だったら何を表現したいかなぁ??
posted by hara takuya at 23:45| ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 原拓也の考える美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月24日

はらぺこや。

こんにちはっ。
こんばんはっ。
今日も昔の日記で第2弾です。
仕事が忙しいこともあり、手抜きですみません。。。

ハンドルネームが『はらぺこや』名義のものです。
『はらたくや』(本名)+『はらぺこ』(貧乏な状態)=『はらぺこや』
が由来です。
通称『ぺこや』で通っていました。
近頃は実家でいるせいで、あまり『はらぺこ』ではありませんが・・・。

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2004年11月21日

男はつらいよであって、男塾なのです。

女もつらいでしょうが、女塾ではピンときません。
でも、上手なメイクの仕方くらい教えてくれそうです。

男が女子を殺害するニュースをよく耳にします。
なんにしても胸の痛い話です。

『女は変わった。男はどうだ。』という日本経済新聞のコピーがありました。

女の人は確かに変わられたように思います。
自立もされ、社会に進出されるようになりました。
その反面、一部の男は女の人に対して臆病になってしまったように思います。

昔の男は「俺についてこい!」だったのが、今や「女の背中をつけていく!」になってしまっています。

ロリコンが増えたのも同世代の女性に対等に接することができなくなった男の弱さが原因のように思います。
幼女に対してなら強気でいける気がするのじゃないでしょうか?

男とは女を守る存在であらねばと思います。
親父は大黒柱であり、それが、スミっこにあるようでは家はつぶれてしまうのです。

男女平等でもそれぞれに聖域がありそれは尊重しあうものだと考えます。
土俵に上がりたいという知事がいれば「コラッ!」と言えるだけの男がいなければならないのです。
そこにはお互いの理解が必要だと思います。

根っこで男は弱い生き物だと思います。
度胸は女の人のモノかもしれません。
いつまでたっても子どもなのは男です。
結局、男は女の人の優しさの中で生きています。
そのかわり男は女の人に安心と花を渡しましょう。

どうもぺこやは古い人間です。

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最近は事務所日記ばかりで個人日記が書けていません。
『はらぺこ』でないため、ハングリーさに欠けているようにも感じます。
その影響か勘も鈍っているようにも感じます。

たまには、自分の想いもぶつけたくなりますね。
ぶつけられた人には申し訳ありませんが・・・。

さて、もうひと仕事します!
そのための手抜きだったものですから。
さぁ、頑張るぞ!

kotodama.jpg
インターネット上で拾った画像ですが、どれもこれも何か心を打つ言葉でした。
島本和彦氏の漫画は熱くさせてくれるものがあります。
仕事をやる気にさせてくれるし、仕事に活かせないか考えさせられます。
posted by hara takuya at 23:56| ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 原拓也の考える美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月23日

僕の生きる道。

こんにちは。
こんばんは。
昔の日記を整理していたら、こんなのが出てきました。

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2005年10月30日

僕は生まれてきた。

何のために?

何かを残すために。


そのためには、仕事をします。
選んだ仕事は建築家という道。

みんなが、まだ見たことのない、感じたことのない空間をツクルために生まれてきたと思っている。
僕に関わる全ての人が幸せになってほしいという願い。

でも、それだけではないと考える。

もう1つは結婚するため。
愛する人と出逢い、幸せな家庭を築くこと。

自分にとって、この2つは表裏一体。
どちらかが欠けたら、どちらも成り立たない。

精一杯、妻を愛し、一生妻に建築という仕事でカッコつけたい。
カッコつける相手もいないようでは、やる気も失せる。

胸を張れる仕事もないようでは、妻も僕を愛せないだろう。
子どもも、僕を誇れないだろう。
最高の後ろ姿を見せてやりたい。
それが、一番の教育だと思ってる。

目指すは世界一の建築家。
妻に、カッコつけて、カッコつけて辿りつきたい。
そん時は、よしよしと褒めてもらいたい。

それだけで頑張れる。


それだけに生まれてきたんだ。

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と、書いてありました。
久々に読んで、今でもちゃんと軸はブレていないことが確認できて安心しました。
この想いは生涯持ち続けたいと思います。
そうすれば満足して笑顔で死ねると思います。

R0012929.JPG
今日の『川島の家』の現場の写真です。
工事はどんどん進んでいます。
『川島の家』は夕方、西日を鮮やかに浴びた姿を見せてくれます。
とても綺麗です。
完成したら、どうなるんだろう・・・。
所長は完成図が頭の中で描けているそうです。
悔しいなぁ。
posted by hara takuya at 23:55| ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 原拓也の考える美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月24日

大きいことは良いことだ。

こんばんは☆(こんにちは☆)
今日はお墓参りに香川県まで行ってきました。
天気も良く絶好のお墓参り日和でした。
うどんも食べたし絶好調です!

今日は『原拓也の考える美』第二回です。
昨日の日記の中で、
「実は100人全員が『好き!』と言えそうなモノの存在を知っています。
 例えば『花火』『滝』『富士山』等です。」
と書きました。
では、なぜ『花火』『滝』『富士山』等がみんなの心を動かすことができるのかという原因探りです。

僕は原因のひとつには『大きい』ということがあると考えています。
例えば、目の前にただ人が立っていてもなんとも感じません。
しかし、目の前にお相撲さんやプロレスラーが立っていたとすれば、
それはもう見とれてしまうハズなんです。
僕は机の上に四角錐があってもなんとも思いません。
しかし、ピラミッドの前に立つとなれば、それはもう感動・興奮の嵐だと予想しています。

人間は感覚的に自分の既定概念を狂わされる対象に面と向かったときは必ず心が動くと考えています。
心が動くということは感動に繋がる第一歩だと思っています。

火薬が空を飛び弾けるという現象が、いつも知っている空の表情を一瞬で変化させ、
視覚いっぱいに広がる感覚。

水道の蛇口からもいつも流れ落ちている良く知っているはずの水が、
大きく集まって自分の何倍もの高さから落ちてくる世界に包まれる感覚。

子どもの頃から知っている、どこにでもある山という存在の有り様を、
一気に塗り替えられる瞬間に起こる感覚。

それこそが人間のスケール感を酔わせていると思っています。
(『花火』に関しては『滝』『富士山』とは少々、質が違うと考えています。)

『大きい』という存在は人間にとって非常に『わかりやすい』惹かれる存在だと思います。
『わかりやすい』ということは究極の『美』を目指すにあたって非常に重要だと思っています。
100人中100人の老若男女を魅了するためには理解のしやすさが絶対条件です。
かといって、究極の『美』を備えた建築をつくるにあたって、
ただ大きくすれば良いかといえば、そんなワケにはまいりません。。。

ただ、『大きい』ことは人を惹きつける魅力があるということがわかっただけでも、
ひとつの手がかりを掴んだと思っています。
まだまだ、道のりは遠いのです。

ピラミッドや古墳、ただのお墓でも大きいとそれだけで人を惹きつけるんですよね。
でも、そんなお墓じゃお墓参りも大変です。

R0010905.JPG
徳島動物園で撮ったゾウさんの足です。
長い鼻、大きな体、食べる量、全てが魅力的です。
もしや、僕がチビな男だから憧れているだけ!?
posted by hara takuya at 23:31| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 原拓也の考える美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月23日

好み。

こんばんは☆(こんにちは☆)
祝日(秋分の日)のおかげで土曜日にお休みがもらえ、今日はのんびりできました。
といっても、夕方は庭木の剪定を蜘蛛の巣や蚊と戦いながらやっちゃったんですが。。。

僕の人生の課題は究極の『美』を産み出すことだと思っています。
車の運転中や、お風呂の時間、ふとんの中でいつも考えています。
しかし、いつも目の前に立ちはだかるのは『好み』という壁です。

『好み』というのは、とても厄介なシロモノで、
100人いたと仮定した場合、たとえ80〜90人の好みが統一できたとしても、
必ず少数派の10〜20人という存在が生まれてしまう宿命にあると考えています。

歴史における名画といわれる『モナ・リザ』であったとしても、
100人全員が『好き!』ということは不可能でしょう。
それは、歴史上のどの作家の作品だろうと同じことだと思います。

原因は人間という生き物の本能的な部分にあると考えています。
世の中には、丸顔が好きな人もいれば、四角い顔が好きな人も存在します。
細い人が好きな人がいたり、太い人が好きな人がいたり、いろいろな好みに分かれます。
もし皆が皆、ひとつのタイプに偏ったとすると困ったことが起きてしまいます。
子孫を残すことを考えれば、人間にはそれぞれに『好み』というものを組み込まれ、
男女が均等に結ばれるように設定されているように思えるのです。

しかしながら、僕は100人全員が『好き!』という建築を目指そうと考えています。
それこそが究極の『美』と信じています。
不可能とはわかりながらも、立ち向かいたいのです。

実は100人全員が『好き!』と言えそうなモノの存在を知っています。
例えば『花火』『滝』『富士山』等です。
きっと誰もがその存在とあいまみえた場合、必ず何かしら心が動くハズだと信じています。
それが人間の正当な心理だと思うのです。

僕は、それらと同じ存在感を持つモノを建築で表現できたらと考えています。
高い目標だからこそ、一生をかける価値があると思っています。

でも所詮、小さな虫に翻弄されているだけの小僧なんですけどね。
庭はすっかり綺麗になりました。
今年の草刈りもこれで終わりだと思います。
空気はすっかり秋です。
物思いに耽るには最高の季節がやってきました。

R0012028.JPG
お盆に撮った神山の『雨乞いの滝』の写真です。
滝のパワーには、いつも心を震わされます。
元YMOの細野晴臣がラジオで、
「滝はあんなに大きい音をたてているのに、静かだ。」
と言った言葉が何年も気になっています。
この言葉の中に美を掴むヒントがありそうで。。。
posted by hara takuya at 21:49| ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 原拓也の考える美 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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