こんにちは。
こんばんは。
桜がひらひらと散っています。
また、来年ですね。
☆
ここ数日は、新しい案件もないのでカオス状態にあったカタログの整理や、
所長が若い頃から関わってきた物件ファイルの整理、
そして自分の机の整理など整理週間になっています。
先日は徳島サティが27年間の歴史に幕を閉じました。
8日には大阪名物のくいだおれが7月で閉店することを発表しました。
そして、徳島で愛され続けたベルも閉店を控えセールを段階的に継続中です。
(あの緑の熊が大好きで、あの熊が泣いている絵を見ると、僕まで泣きそうになります。)
確かに、厳しい時代なのかもしれません。
昔、栄華を誇ったモノほど時代の変化に対応できなかった場合、
旧時代の遺物として、却って大衆に距離を置かれてしまう感じがします。
それは、中島らも氏も著書の中で書いていましたが、大阪の新世界とか神戸の新開地に見られる
"新"がつく界隈ほど時代を感じてしまう悲哀と似ている気もします。
時代を生き抜こうとした場合、その力(貯え)があるうちに、
どんどん変革を繰り返しておかなくてはならないとつくづく思います。
廃れてしまってからでは、時、既に遅く変革する力が残っておらず、
ただ死を待つばかりという例もたくさん目の当たりにしてきました。
この間、経営者仲間であるパッケージ松浦の松浦君が木こりの話をしてくれました。
『勤勉な木こりが毎日毎日10本の木を切っておりました。
毎日毎日、木を切っていましたが、何年も経つと斧が傷んでしまい、
10本が9本に、9本が8本に、毎日切れる木の数が減ってきました。
周りの人は木こりに
「一度、町に行って、斧を修理してもらうか、新しいのに変えたらどうか?」と言いました。
しかし、木こりは
「1日休んでしまうと、木が8本切れなくなってしまう」と言って耳を貸しませんでした。
そのうち8本は7本、6本、5本と減りついに仕事が出来なくなりました。』
という「現状維持=衰退」を説明した内容です。
木こりが1日でも仕事を休んで、自分の仕事を客観的に見つめなおすことができたならば、
町に行って斧を新調するか、もしくはチェーンソーを買うという投資もあったかもしれません。
僕は、この話の中では勤勉さが却って仇になったという部分に悲しさを感じます。
勤勉も一歩間違えれば盲目なんですよね。
所詮、例え話なんですがね。
楽焼は先代の遺産を継承しながらも、必ず新しい形を産み出すことで続いてきたと聞きました。
もし、同じモノをつくり続けていたならば、この現代まで生き残っていなかったのではないでしょうか?
ガル・Space Designもこのままではいつか時代に取り残されて消えてしまうことでしょう。
僕も日々、何かしら模索しています。
この時代に産まれ、この時代に生きたからこそ表現できるモノを残したいと考えています。
それには、整理ばっかりではどうしようもありません。
表現したくてウズウズしています。
ご依頼ドシドシお待ちしております!
今がチャンスです!

これでも片付いた「カタログ部屋」です。
これらの資料をドンドン駆使していきたいものです。
posted by hara takuya at 16:04| ☀|
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原拓也の考える美
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